乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#23 それでも彼女は歩きつづける  大島真寿美著

 

 柚木真喜子というほぼ無名の映画監督が海外の映画祭で賞を獲った。

 日本ではたいしたニュースにならなかったが、彼女と関わりを持つ(あるいは持っていた)人たちには地味に、けれど確実に波紋を呼んでいる。

 

 関係性によって抱く心情に違いはあるものの、「ざわざわしている」ことは共通していて、その微妙なざわつきがそれぞれの視点から巧みに描かれていると思った。

 

 

 柚木は、映画監督として地位も名誉も得ているわけでもなければ、とくに美人でもなく、また奇天烈さや派手さもない。どちらかといえば目立たないタイプだしそれは受賞の前も後も変わらず、調子に乗っている様子もない。つまり、嫉妬の対象になりやすい人物ではないのだ。それなのに、どうしてこうも周囲の人間の心は乱れるのか……。

 

 このざわざわする感じは読んでいる方にも伝播するのか、あまり心地良いものではない。不快といってもいい。

 

 

 決定的に「この女、嫌いだ」とはっきり感じたのは、かつて柚木と映画を作ったことのあるフリーライター・志保の目線で書かれた章のこの箇所。

 

 

ねえ、あの子ね、空気が見えるんだ、って言うのよ、と志保は間島洋治に話しかけた。

いろんな空気が見えるんだ、って。それで、たまに、すごく好きな空気だったり、さわりたい空気だったり、心に残る空気があって、それを、あたしは、撮りたいんだ、って言うのよ。うまく撮れたり、撮れなかったりするんだけど、そうやって空気を撮ろうとしていると、じょうずに呼吸ができるような気がするのよ、って。

 

 

 映画監督だけでなく写真家や音楽家なども含めてクリエイティブな仕事をしている人なら「空気が見え」て、「空気を撮りたい(作品として記録したい)」と思うのは珍しくないことかもしれないし、理解できる。問題はそのあとに続く「じょうずに呼吸ができるような気がするのよ」のところ。

 

 

 これを無邪気に言ってのける女……嫌いだ。

 

 

「ぶってる」な、と思った。

 じゃあ何ぶってるのかというと、芸術家ぶってる、というのとは少し違う。どちらかというと、スピリチュアリティ寄りの人の発言に近い。出身地は「ちきゅう」(真顔)、みたいな。

 

 

 本来ネガティブとされている感情のメカニズムを追求する作業というのは楽しいことではないけれど、あまりにもはっきりとした嫌悪感だったので、少し掘り下げて観察してみたくなった。

 

 人を嫌いだと感じるとき、自分の内部に実は同じ要素があってそれを客観的に見せられることで不快に思うケースと、自分にはない(手に入らない)ものを持っている者への嫉妬からの裏返しで嫌うケースがある。

 

 

 では、私の中に実は柚木的な部分があってそれを目の前でやられると嫌悪感が湧くのか、と自問自答してみてもしっくりこない。

 また、私は「じょうずに呼吸が――」みたいなことを言いたいなんて思わないし、それをシレっと言ってしまう人が羨ましくはない。私が素直に憧れるのはキレキレの知性を兼ね備えている人(男女問わず)だし、そういう人は即物的な物言いをする場合が多い。

 

 

 じゃあ、一体なんなんだ……

 

 

 

 見下されている感

 

 

 

 多分、これだ。

 

 

 10代~20代の女性タレントに時々いるような「不思議ちゃん」には嫌悪感は湧かない。彼女たちはそれ含めて仕事という部分もあるだろうし、なにより私には嫌うという感情以前で関心がない。はっきり言ってどうでもいいし、どうでもいい存在から心を乱されることはない(ある意味安全)。

 

 でも、柚木のような一見同じフィールドにいるような人物に、素で、ちょっと舌足らずに「じょうずに呼吸が――」とか言われると、遠回しに馬鹿にされているのかと勘ぐってしまう。

 

 

 呼吸に「じょうず」も「へた」もあるのかよ!

 

 

 言わんとしていることは、本当はわかる。

 物理的な意味ではなく、心理的に「なんか息苦しいな」と感じることってある。あるある、よくある。

 その逆として、うまく呼吸できている感覚というのも、ほとんど意識することはなくても、ある。

 だから、柚木の言っていることは、嘘ではない。

 要は、それを口に出して言っちゃう人なのね、という点と、あとは言い方の問題だ。

 

  

 マゾヒスティックにもう少しだけ掘り下げれば、この嫌悪感は私の劣等感故の被害妄想である。売られていない喧嘩(マウンティング)を勝手に買って、勝手に負けている。

 おそらく、自分の生きてきた道・今歩んでいる道・これから歩くだろう道――即ち自分自身――に確固とした自信があれば、この手のタイプに反応することはないと思う。

 自信がないから、「あっち側」の高みからの声に聴こえるし、「こっち側」にいる自分のショボさが目に付いてしまう。

 

 

 ここにきて、『それでも彼女は歩きつづける』というタイトルがガチっと嵌まった気がする。

 

 彼女=柚木にとって、振り回され掻き乱され巻き込まれている周囲のことは全くどうでもいいことで、ただまっすぐ歩いているだけなんだろう。