乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

pre#25 BUTTER  柚木麻子著

 

 ある読書家の友人が、「あれは読んだ?」と話題に挙げてきた中の一冊。

 

 首都圏連続不審死事件、またの名を婚活連続殺人事件をモチーフにした小説だと、ざっくり聞いただけでもう読みたくてうずうずし始めていた。

 

 電子書籍ならすぐにでも読めるのは重々承知しているけれど、やっぱり紙で読みたい! と昭和の人間らしいこだわりが強い私は、古本屋に行くたび趣味の合う誰かが売っぱらってくれていやしないかと粘り強く待つこと8か月。

 

 

 あったーーーー

 

 しかも50%オフの日に!!!

 

 

 ほくほくと荷物の重みを感じながら足早に帰り、最初の頁を捲るときの幸福感。

 

 ちなみにこの単行本の表紙の材質は、しっとりと手に吸い付くようなテクスチャで、いかにもバターの膜のよう。

 こういう細かい粋な演出は、電子では絶対に味わえない。紙の本を待って正解!

  

 

 で、早速感想を。

 といきたいところだが、およそ半分ほど読んだ時点でいろいろ思うところがあり、小説本体の感想を書く前に、一旦纏めることにした。

 

 

 まず先に実際に起きた婚活殺人事件について少し触れておく。

 

 事件当時(2007~09年に発生、発覚は09年)はちょうど私が日本のニュースに最も疎かった時期で、恥ずかしながら全く知らなかった。

木嶋佳苗という女性(当時34歳)が複数の独身男性から大金を騙し取った。男性はいずれも不審死を遂げ、木嶋佳苗に容疑がかかり、逮捕」とだけ聞くとまあありそうな事件ではある。しかしそこに「犯人は決して若くもなく美人でもない豊満体型の女性」と付け加えられると、俄然趣は変わってくる。

 

 

 

 一体どんな手練手管で?! 

 

 見た目はあれなのに、どれだけ女子力高いの?!

 

 

 

 インターネットで調べていくと、ざくざくとお宝のように興味深い情報が出るわ出るわ。

 

 

死刑が確定している

その獄中で結婚

しかも離婚

さらに再婚

エトセトラ エトセトラ

 

 

  被害者とご遺族のことを慮ると好奇心だけでやいのやいの言うのは憚られるが、とにかくこの人は「平成の毒婦」と呼ばれることでもわかるようにドラマチックな人生を歩んでいるらしい。

 

 どの情報も「ブスなのに」「デブなのに」というストレートな枕詞付きで取り沙汰されていたが、それ以上に私の目を引いたのは、獄中の本人がこの小説に大層腹を立てその怒りをぶつけているブログの方で、本人がここまで反論している小説、やはり読まねば。そう強く思った。

 

 

 では、この小説のどこが木嶋佳苗の逆鱗に触れたのか。

  

 それは、本人にしか解らないことで私たち第三者がどれだけ分析しようとしても推測の域を出ることはない。

 その上で、しかもまだ読み切っていない状態で言うならば、どの部分というよりもまず「あなたってこうでしょ」「こうだから、こうしたのよね」と決めつけられる(ような)こと自体が気に障り、いい気はしないだろうと察せられる。

 

 

 我ながら呆れるくらいの天邪鬼の私は、理解してもらえたという悦びよりも、そう簡単に理解した気になってもらっちゃ困る、という反抗心が勝ることが多い。相手に悪気があるかないかに拘わらず、またその相手が家族のような近しい存在であっても、だ。いわんや赤の他人に於いてをや。

 

 

 木嶋佳苗のブログが映し出された画面の放つ光を見つめていた私の頭には、村上龍の『自殺よりはSEX』にあった忘れられない文言が浮かび上がっていた。

 

 

この世で2番目に嫌いなことは『理解されないこと』で1番嫌いなのは『理解されてしまうこと』

 

 

 実在の人物や事件をモチーフに小説を書いてはいけないという法はないし、それをした柚木氏にその意味での非はない。 

 

『BUTTER』は、婚活連続殺人事件をモチーフにしていても著者の創作部分も当然盛り込まれているはずだ。

 しかし内容が如何なるものであろうが、自分をモデルにしていることが明白であれば、読む者はキジカナ(木嶋佳苗)とカジマナ(梶井真奈子)を重ねて読むことは避けられない、その一点だけでも木嶋佳苗にとっては十分神経を逆なでするものだったのではないか。

 

 だから、ブログでキジカナが「柚木!」と吠えるのは実にまっとうな反応だと思った。私だって、きっとそうする。

 

 

 

 もう既に、私はキジカナに寄っている。

 

 

 

 キジカナのこと、もっと知りたい。

 そんな思いが腑の底の方で小さく泡立っている。

 

 

 まだ『BUTTER』を読み終えてもいないのに、キジカナ事件について誰かが言及しているサイトを見つけては読み漁り、思考はあちらこちらへ飛んでいる。

 

  こういった事件が起こると、犯人の過去を遡っていくことで事件を起こすような人物になった原因となるものを探そうとする向きがある。

 幼少期に酷いいじめや虐待に遭っていたとか、貧しかったとか、複雑な家庭環境だったとか、それっぽいものを見つけることで安心して納得したいという勝手な都合で、乱暴にいえば最終的にそれが真実かどうかはどっちでもいいくらいだ。ただ原因のわからないものは怖いだけだから。

 

 しかしどういう生い立ちかがわかったところで、それはもう宿命としかいいようのない本人にとっては不可避の出来事がほとんどだし、また同じような条件でもまったく違う人生を送っている人は大勢いるわけで、直接的な原因なのかどうかはやっぱり言明できない。

 

  私は、キジカナが本当に殺人を犯したのか、だとしたらなぜなのか、そこに興味がないわけではないけれど、それ以前に、彼女の´つかみどころのなさ´から目が離せなくなっている。

 

 

 巻き込まれたくないけど巻き込まれてみたい(魔性か!)

 

 

 そういう危険な矛盾を、彼女には起こす力がある。男たちは、運悪くその沼に嵌まってしまったのかもしれない。

 

 

 

……まあ前置きはこのくらいにしてとにかく続きを読もう、そう思う次第。