ずっと、泣きそう。
はじめから終わり――厳密には、2ページ目の1行目から最後――までずっと、涙が出ないギリギリの強さでぎゅっと心臓を握られているような痛みと苦しみ、切なさとやるせなさが続く。そんな恋愛小説だった。
「声が聴きたくて」電話をしたり「顔を見たくて」夜更けに会いに行ったりする衝動に、相手を想うあまりの気遣いや優しさが逆にその人を傷つけるということに、別れるために会う二人に、きりきりしっぱなしで幾度となくもうこれ以上読みたくないとすら思いながら、一体どんなふうに彼らが引き裂かれていくのかを知らずにはいられない。
こんなにも読み手に小さな息を漏らさせる恋愛小説、かつてあっただろうか。
誰かが誰かを好きになって、でもその誰かはまた別の誰かに思いを寄せている、そんな恋をすることはもうないだろうと思っているこの私が、主人公の瑞々しさに目を細め、羨ましさと懐かしさの入り混じった複雑な気持ちになる。
そして、自分の裡に、まだ汚れていない部分が残っていることに驚き、戸惑い、少しだけ安堵した。
ゼロに戻ろう、と思った。マイナス1でもプラス1でもなく、ましてや0.1すら残さず、完璧なゼロに戻ろう。新しく始めるために、葉山先生を忘れる必要がないぐらい思い出さなくなるために。自分をこんなふうに追い込むすべてを手放さなければならないと思いながら、だるさの中で明け方頃、ようやく眠りについた。
二十歳になるかならないかくらいのまだ半分少女といってもおかしくないような女の子が、こんな決意をしなければいけないなんて。
もう本当に、これだけで泣きそう。
思えば物心ついた時には既にハッピーエンドのお姫様に憧れる気持ちよりも、悲恋の物語に惹かれていた。
数ある名作童話の中でも一番好きだったのは『人魚姫』で、何度も何度も読み返していたのを思い出す。
王子の口づけであっさり目覚める白雪姫やガラスの靴がぴったりと足におさまるシンデレラにはない、哀しみの中の美しさを、初めて知った。
一目見て恋してしまった王子に近づきたい一心で、ただそれだけで、薬(とてもまずそう)を飲み、人間の脚をもらう人魚姫。
自分の声と引き換えというなんともシビアな条件を受け入れるその覚悟や、慣れない脚の痛みに耐える姿に、子どもながらに胸を打たれた。
最後は泡になって消えていくラストシーンの絵を鮮明に思い出しながら、泉(主人公)や人魚姫みたいな身を焦がすような恋は、やっぱり若いうちならではだな、と妙に現実的に思った。私にはそんなエネルギーもうないよ、と。
それは諦念や自虐というネガティブな思いではなくて、私にとってはそこにそんなふうに情熱を注ぐ時代はもう過ぎ去ったのだという自己の変化の確認で、静かにまた一つ息を漏らして読み終えた。