乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#47 乳と卵  川上未映子著

 

 なんやろ、これ。

 

 思わず関西弁でつぶやきそうになる読後感。

 

 私はなぜか小説となると関西弁が苦手なのだけれど、この作品は例外中の例外。ただ“なめらかな言語”として流れていく文章は何弁とかいう範疇をゆうに越えている。

 

 主人公も、彼女を訪ねて大阪から上京する姉とその娘も、駅とか町の風景も、なんとなくしょぼいというか、西日射すようなしみったれた生活感が滲み出ているのに、文体はひたすら風雅という不思議な世界観。

 目玉は文字を追うことを止められず上から下へ忙しなく、かたや脳はほとんど無(む)の瞑想状態で読み切った。

 

 

 これはマントラあるいはお経

 

 

 思えば三人しかいない登場人物は三者三様に、「今・ここ」――主人公はやってきた母娘との対話、姉は目前の豊胸手術、姪は少女から女になる寸前の体と心――にしか目を向けておらず、各々がその瞬間を生きている。それ故、互いの発言や思考はかろうじて噛み合っているようでいて実はまったく噛み合っていない。

 

 

 それぞれ異なる状況の中で三人がともに過ごす3日間の出来事にツッコミどころはいくつもあって面白かったけど、それらを拾うことよりも、主人公が姉の話(豊胸手術のこと)を聞きながら以前にも胸のことについて女の人と話したことがあったなあとぼんやり思い出すその頭の中を引用(写経)するだけにしたい。

 きっと目よりももっと触感的に文字を追う指先は忘我の境地へ導いてくれるはずだから。

 

 

 

でも確か、胸おおきくしたいわあ、とある女の子が云って、わたしじゃなくてそこにはもうひとり別の女の子がおって、その女の子がそれに対してネガティブな物言いをしたんやった、え、でもそれってさ、結局男のために大きくしたいってそういうことなんじゃないの、とかなんとか。男を楽しませるために自分の体を改造するのは違うよね的なことを冷っとした口調で云ったのだったかして、すると胸大きくしたいの女の子は、そういうことじゃなくて胸は自分の胸なんだし、男は関係なしに胸ってこの自分の体についてるわけでこれは自分自身の問題なのよね、もちろん体に異物を入れることはちゃんと考えなきゃいけないとは思うけれど、とかなんとか答えて、すると、そうかな、その胸が大きくなればいいなあっていうあなたの素朴な価値観がそもそも世界にはびこるそれはもうわたしたちが物を考えるための前提であるといってもいいくらいの男性的精神を経由した産物でしかないのよね、じっさい、あなたは気がついてないだけで、とかなんだかもっともらしいことを云って、胸大きくしたい女の子はそれに対して、なんだって単純なこのこれここについてるわたしの胸をわたしが大きくしたいっていうこの単純な願望をなんでそんな見たことも触ったこともない男性精神とかってもんにわざわざ結びつけようとするわけ? もしその、男性主義だっけ、男根精神だっけかが、あなたの云うとおりにあるんだとしてもよ、わたしがそれを経由してるんならあなたのその考えだって男性精神ってもんを経由してるってことになるんじゃないの、わたしとあなたで何が違うの、と答えたわけだ、するとその冷っと女子は、だーかーら、自分の価値観がいったいどこから発生してるのかとかそういうことを問題にしつつ疑いを持つっていうか飽くまでそれを自覚しているのと自覚してないのとは大違いだって云ってんのよ、とこう云って、その批判に対して胸大きく女子は、まあ何がそんなに違うのかあたしさっぱりわかんないけれど、わたしのこの今の小さい胸にわたし自身不満があること、そして大きな胸に憧れのようなものがあることは最初から最後まであたしの問題だってこう云ってんのよ、それだけのことに男性精神云々をくっつけて話ややこしくしてんのはあなたで、あなたが実はその男性精神そのものなんじゃないの? 少なくともわたしは男とセックスしたりするとき、例えば揉まれるときなんかにああこの胸が大きく在って欲しかったこの男の興奮のために、なんてことは思わない、ってことははっきりわかってるって話よ、ただ自分一人でいるときに思うってそれだけよ、ぺったんでまったいらなこれになざだか残念を感じてしまうだけのことで。すると冷っと女子は、だから……