乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#48 行動することは生きることである 生き方についての343の知恵  宇野千代著

 

 

 ここでこうしたらこうなるかも、これをこうやったらこんな可能性が、などと次の一手どころか次の次の手まで熟考できるのは大人っぽさでもあるけれど、考えているだけでは何も始まらない。

 

 

 You行動しちゃいなよ!

 

 

 そんなふうに背中を押されるようだった。

 

 その押し方は、優しくはない。

 どうすれば行動できるか、何をすれば良いのか、行動して失敗したらどうすべきか、所謂how to本のような具体的な手ほどきは一切なし。

 ただ著者が生きてきた、その経験が綿綿と綴られている。

 

 それらをどう吸収するかは読み手次第で、有効活用できる部分もそうでない部分もある(真似をすればよいというものでもない)だろう。

 

 私にとっては、“今”行動せよ、という指南であるとともに、自分の過去を顧み、現在を見つめ、未来の軌道修正をするような読み物だった。

 

 

私にとって、計画は何にもない。ただ、ああしたい、こうしたい、と絶えず思い描いて、それが喩え、少々は無理なことであってもかまわずにやって了う。あの、いつでも何かを追いかけていく気持ち。大袈裟に言いますと、そういうことの一生であったな、と、ふと思うのです。

 

 

 行動が先か、思考が先か。

 著者はまず行動ありきだと、考えに考えを重ねて行動するのではなくて行動そのものが思考だと、潔く断言する。

 

 

 私も若い頃は100%行動型人間だと自負していた。

 こうだと思ったら先のことなど頭になくもう動いていて、それでよく親には「もっと考えて行動しなさい」とたしなめられていた。

 当時の私にそんな助言は全くぴんとこなくて、「なんで? 何を?」と跳ね除けていた。

 そうして行動した結果うまくいかずに傷を負うこともあったが、「もっと考えるべきだった」と悔やむ気持ちはこれっぽっちもなく、単に「失敗しちゃった」というだけのことだった。なんと無謀だったことか。

 

 具体的にしてきた考えなしの行動をあげ出したらキリがないけど、恋愛、転職、転居、期限を決めない旅など身の置き場を変化させる際の瞬発力にかけては我ながら長けていたと思う(最もわかりやすいのは、家出癖と放浪癖)。

 

 その分のツケみたいなものはだいたい後からきっちり回ってくるし、もの凄くきついこともあった、にもかかわらずツケを払い終えた途端、懲りもせずまた同じようなことをしたりする。そんなふうに、わりと最近まで生きていた。

 

 

 それがいつかを境に、すっかり熟慮型になっている。

 日本の一般的な会社勤めではないという表面だけを見るとなんだか好き勝手動いている人と思われがちだけど、そんなことはない。

 衝動は制御され、リスクがあることには手を出さないよう抑制し、何かをする場合にもしつこく考えを重ねて決定することが増えている。

 

 こういう自分の変化を、これが大人になる(あるいは老いる)という成長の一種なのかとも思っていたけれど、つまらない人間に落ちたものだという卑下のような気持ちも、心の片隅にある。

 

 

二年過ぎ三年過ぎている間に、どうしても自分の仕事を変えたくなったとしたら、そのときは、さっさと遠慮なく変えてお了いなさい。

 

あなたはこの人生を、何から何まで完全に、希望通りにして暮らすことが出来る、と思っているのではないでしょうね。ほんのちょっと気持ちを楽にして、この完全主義の形を、一桁だけ、ちょっと下げてみてはどうでしょうね。

 

 

 自分の中でブレーキになっているものの正体が、ここで見えた。

 

 完全主義の形を一桁下げる

 

 自覚なく完全(完璧)主義になっていて、それが行動に「ちょっと待った」をかけていたんだと、はっと目の覚めるような思いがした。

 

 

 もう私にはアクセルをベタ踏みするような若さはない。

 だからガードレールに激突するような大事故は起こさない、が、そこそこのスピードである程度の距離を走るくらのガソリンは、まだある(はず)。万が一事故ったり車体をこすってしまっても、立て直し方もなんとなくわかる。

 40代って、「この私」という車を運転するに実はいちばん良い頃あいなんじゃないか、そう思うとちょっと嬉しい半面、しかしまだまだ修行は必要だなあと感慨に耽る。

 

 

 

 停滞は衰退だと、箕輪厚介さんも仰っている。とにかく行動しろと、ホリエモンも口酸っぱく論じている。

 宇野千代さんはもっともっと昔から軽やかに実行している方で、それをさらりと我々に教えてくれている。