友人が読書メーターに書いていた数行の感想が興味深く、BOOK☆WALKERで試し読みをしかけたけれど即座に×(閉じる)をクリック。少し読んだだけで、これ途中で止められないやつだとわかったから。
さらに、こういう「ピンポイント」で「今」読みたいものは、古書店に出回るのをじっと待つべきではない。何というか、自分の中で“旬”なうちに読まなければ意味がない。
ということで、ここぞという時の電子書籍で購入。
開いてみてまず驚くのは、百のエッセイの目次。
どのタイトルも「いよッ! 釣り上手!」と言いたくなる(良い意味で)ようなものばかりがずらずらと並んでいるのだ。
9頁に及ぶ羅列だけであまりに面白いので、生まれて初めて目次の感想文(本文は未読の状態、つまり著者の本意は無視)を書くことにした。
2 欲しいものを買い、必要なものには金をかけない、という方針でこれまできた。
ほほう。私は、物欲の塊だった時代を経た後、大量の不要物を手放しバックパック一つに入る分しか所有しない数年を過ごして以来、東京でアパート暮らしをしようが実家に居候しようが、最低限の物しか買わなくなった。
「ちょっと欲しい」くらいでは買わず、本当に必要かをよくよく考える癖がついている。そのかわり、これは必要! と思うものには潔く(限度はあるが)つぎ込む。
必要なものには金をかけないという真逆の発想はなにゆえに? と、非常に気になる。
3 相談に乗って解決するときと解決しないときの差は、どこにあるのか?
私は人の相談に乗ることが多い方ではない。そもそも母数(知人数)が少ない。それでも稀に相談というか愚痴を聞くようなことはあるのだけど、解決に導いた経験はと振り返れば、多分ない。
親身になりたい気持ちは強いくせに「最終的には本人の問題」という冷たさがどこかにあるせいなのか。
一度でいいから、あの人に相談したら解決した、なんて言われてみたい。
9 「群れるな」という教えについて。
人見知りの子供がそのまま集団行動が苦手な大人になってしまったので、「群れるな」の社会だったら「うまく群れなさい」よりは断然生きやすい。けど、二人以上の人間がいたら成り立ってしまうどんな社会の中でもまったく群れずに生きるのは仙人じゃない限りほとんど不可能。
群に属しながら変なつるみ方をしない。また孤立もしない。この両立は適度な距離感が鍵なのか……どうにも難しい。
10 「誰か見て」「誰か教えて」と立ち止まって前進しない幼さ。
常に人に注目されたい願望はないものの、誰かがどうにかしてくれるだろうという甘えの強い私にとっては耳に痛い言葉。
「末っ子だから」なんていうのは言い訳でしかないのだけど、結局何とかしてもらえる経験の多さは大人になるとそうはいかないという仕返しを受けるのでプラマイゼロ、というかむしろ後々の苦労がマイナスに食い込むくらいなので大目に見てほしい(←こういうとこが甘ったれ)。
19 「謝罪しろ」という怒りは、謝罪されたら行き場を失って、困ることになる。
個人対個人のことをいっているのだと思うけど、それはさておき、最近のやたらとメディアで謝る有名人の姿を見ていると、当事者でもないのに謝罪を求める人の心理とはなんなんだろうと不思議で仕方がない。
謝ったら許すとか、そういう問題じゃない。根本の「世間の怒り」の出処がまずわからない。けれど、謝らなければ叩かれる。だから謝る。流れは加速して、今では謝れと言われる前に謝っておくなんてことにもなっている。こんな気持ちの悪いループはもうそろそろ断ち切ってもいいんじゃないかな。
33 当たり前すぎるが、手の届く範囲のことを毎日するしかない。
本当にそう。少し先の未来を考えると狼狽える。結局自分ができること、すべきこと、した方がいいことは手の届く範囲にしかなく、その小さな一つひとつを積み重ねた結果が未来でしかない、とつくづく思いながら目の前のことを片付けている今。
46 少子化の対策として、子供を産めという単純かつ頭の悪い意見について。
子供を産んでいない立場として何かをここで語ることは避けるが、産めよ増やせよという意見には常々うんざりしている。だから「単純かつ頭の悪い」とバッサリ斬っていただければ溜飲が下がる思い。
52 ビスケットのRITZを、ほぼ毎日食べている。
ほぼ毎日リッツパーティー。ふふふ。私も気に入ったものは飽きるまで食べ続ける習性があるから、これは「あるある」かなと予想して、読むのが楽しみ。
82 人間が死ぬより、犬が死んだときの方が悲しいのは、犬が黙っているから?
ああ。そういえば、親しくない祖父母が死んだときは一粒も涙が出なかったのに、愛犬の死の悲しみは未だに引きずっている。思い出しては涙ぐみ、夢に出てきてはまた涙する。それを「黙っているから」だと考えたことはなかったけれど……そうなのか?!
92 後ろはどこまでも見えるのに、前は霧に閉ざされている。それが人生。
33(当たり前すぎるが、手の届く範囲のことを毎日するしかない。)と同じで、霧に隠れたものを見ようとしても、見えないものは見えない。霧のない、手の届く範囲のことをするしかないんだよなあ。
にしても、見えないものに向かうって、どうして人をこんなにも不安にさせるんだろう。見えないからこそわくわくする(可能性は無限大!)ようなタイプの人がいると、羨ましさとともに強がっているだけなんじゃないかとつい疑いももってしまう。
とまあ、他にもそそられるものは幾つもあったけどキリがないので十に留めておいて、タイトルだけでああだこうだ書いた答え合わせはこれから(トランプの)神経衰弱みたいにちまちまめくっていこうと思う。
ともあれ自分の眼だけでは絶対に選ばない(見つけられない)本をこうして知ることができ尚且つそれを面白がれると、大袈裟かもしれないが宝物をちょっと分けてもらえたような嬉しみを感じる。
<追記>
これを書いたのはもう半年以上も前のこと、つまりbeforeコロナの頃。
とくに理由はなくなんとなく感想を仕上げたまま更新していなかったのを今読み返すと、まさかこんなことになるなんてという世界の動き、自分の中の変化が蘇ってくる。
「コロナだから仕方がない」と、思うようにいかないあれこれを諦めることにももう慣れてしまった最近の私も、相変わらず手の届く範囲のことをするだけなのだけど。