日和子はくすくす笑ってしまう。
このくすくす笑いが作中15回も出てきて(思わず数えた)、私の神経を逆撫でっぱなしだった。
印刷ミスなのではないかと、ありえない疑いを持つくらいの頻度でくすくす笑うのを見るたびに、うんざりした気持ちになる。
日和子が笑うのは、少しも面白い場面ではない。
怒って相手に詰め寄っても良さそうなタイミングで、くすくすくすくす笑う。
何が可笑しいんだ。馬鹿にしてるのか! と言いたくなる私を尻目に、対する夫は気にする様子もなく、キレたりもしない。そもそも妻のくすくす笑いだけでなく、いつだって、どんな話だろうと聞いていないからだ。
本来は、話が噛みあわない夫の方に、「ちゃんと話を聞け」「妻と向き合え」と文句を言いたくなりそうなものなのに、それを上回って日和子に苛々する。
苛められっ子が、泣きもせず、やり返しもせず、へらへらと笑い、苛めっ子をますます助長するのと似ている。
「あれ、早かったんだね」
風呂から上がり、こざっぱりした顔で逍三が戻ってきたとき、日和子は廊下で文庫本を読んでいた。
「鍵、フロントに預けてって言ったでしょう?」
「俺の方が早いと思ったんだ」
逍三はもごもごと言う。鍵をあけ、部屋に入ると、
「早かったんだな」
と、くり返した。それが逍三流の詫びであることが日和子にはわかる。それで途方に暮れてしまう。さらに怒るのは大人げないし、そんなことをすればかなしくなるだけだからだ。
「もう、いいわ」
それで、そう言った。
「でも、本があってよかったな」
唖然とし、それから日和子は笑いだしてしまう。くすくすと、そしてからからと。
いやいや、どうしてフロントに鍵を預けなかったの? って訊いてるの。おかげで廊下でずっと待つ羽目になったのに。なぜそんな簡単なことが言えないのだろう。本があってよかったな? あなたがそんなこと言う筋合いないでしょ。そのくらい言ったっていいのが夫婦じゃないの?
聞いていないことはわかっていた。テレビに気をとられるあまり、椅子ごと横を向いているのだから。
「聞いてる」
逍三はこたえた。
「善意だろ?」
「そうよ。前を向いて食べて」
逍三は従った。
二分後に、逍三の椅子が再び横を向いたとき、日和子はくすくす笑いだしてしまった。
どうしてこの二人は夫婦という形を十年以上も維持しているのだろう。
日和子は、人見知りではあるがパートの仕事に出たり旧友と集ったりテニススクールに通うくらいの社会性はある。
さらには、夫がいなくても自分は大丈夫だし、夫には私がいなくても大丈夫、とまで認めている。
逍三も、人付き合いは悪いものの会社では部長になるくらいだし、暴力、アルコール依存、浮気、どれもしていない。
外から見れば、羨むほどではなくても、うまくいっている夫婦。
けれど日和子は、わかっている。
くすくす笑いは、本当のことを隠すための防具なのだ。
怒ったり喚いたりすれば表面化してしまうことを封じ込めるには、小さく笑うしかない。
そんな誤魔化しで成り立っている夫婦生活が幸せかどうかなんて、私には、そうだともそうでないとも断言できない。
誰だって、多かれ少なかれ妥協したり見て見ぬふりをしなければ破綻してしまうことがあるから。
それでも私は、日和子のくすくす笑いに苛立たずにはいられない。
お願いだから、誤魔化さないでくれ。
頼むから、目を逸らさないでくれ。
そんなの嘘だ!
そう思うのに、くすくす笑いは止まらない。
私が馬鹿正直すぎるのだろうか。
だから私は結婚できないのかもしれない。