舞台は銀座の料理屋「リラ」。
料理屋といってもレストランではない。
女給(要はホステス)がいて、客は男ばかり。今でいうキャバクラというところだろうか。
しかしそこに繰り広げられるのは華やかで煌びやかな夜の世界とは遠い、憂いの色濃い現実ばかり。
‘こんなはずじゃなかった’ような今と希望の薄い未来を背負った女給たちの溜め息が生々しく聴こえてきそうな話。
あっけらかんと敢えて蓮っ葉に振る舞う生身の女の姿が、頼もしくもあり痛ましくもあり、しかし最後はさっぱりとした気持ちになった。
「まア、さア、粒子さん何云ってンのよオ、こんなに雪が降つて、みんなくさつてンのにさア・・・・」
「勝手にくさつてればいゝぢやないか・・・・ええッ、だいたい私を酔つぱらひだなんぞと、高をくゝつたその済ました顔が口惜しいのよ・・・・さア、レコードでもかけて賑やかにならない?」
天井には造花の蔓薔薇が、黄色いランタアンを囲んでビイドロのやうに紅く咲いてゐる。
直子は、何時か眼頭が熱くなつてゐた。
「雪のせゐよ、こんなに客もなくなつて、皆苛々してンのは・・・・」
くさくさするのは雪のせい。
それなら賑やかな音楽で気を紛らせばいい。
造花だって、そこに光があれば紅く咲くのだ。
さあ気を取り直して。
と思うがやっぱり愉快ではない。
「それで指輪返へしちやふの?」
「勿論よ、こンなものさへやれば、魂まで自由になるつて思つてる男が憎らしいのよ。昔は牛屋の女中だつて、札束を頬つぺたへ投げ返へす心意気があつたつていふぢやないのウ……随分真実つくしてたの、馬鹿らしい話だわねえ」
「私、早くこんなところから足を洗ひたいわ。――今頃いつたいチップがいくらくらゐになるンでせう。まるでキモノのために働いてるやうなもンぢやないの・・・・」
店内ではこんな愚痴や不満がピンポン玉のようにぽんぽん飛び交う。
ここで働いている人物が揃いも揃って憂鬱なのにどこか清々しくもあるのは、こうして膿を吐露し合える場(それが「リラ」)があるからだと思う。
女同士、虚勢も見栄も張りたいところはあるだろうし心の襞まで曝け出しているのかはわからないけれど、時には「もう生きてゐたくないわ」とまで声に出して言ってしまえるってむしろ健康的に見える。
それともう一つ、それぞれが不平を漏らしながらも、その苦しみを(雪のせいにはするけれど)誰のせいにもしていなくて、だから必要以上にじめじめしない。
こんな社会が悪い、病気の家族が悪い、早くに死んだ亭主が悪い、など恨みどころはいくらでもあるのに、境遇を丸ごと「そういうもの」として受け容れ、諦め、超然としている女たちを見ていると、ちまちましたことを何かのせいにしようとする自分のせこさが恥ずかしくなる。
「だからさ時の流れを待つばかりね」
サトミが思ひ出したやうにこんな事を云ふと、お粒は鏡の中からニッコリして「さうでもしなくちや、やりきれないわ」とまるで少女のやうにすなほであつた。・・・・誰が悪いのでもない、みんな宿命なのだ、と、さう百合子もサトミの傍に歩んで行つて、香りの高い支那煙草のミュズに火を点じた。
浮世を渡ってきた女からほろりとこぼれる言葉の説得力。
私はまだまだ修行が足らないなあと、頭が下がる思いで読み終えた。