乱読家ですが、何か?

読書メーターで書ききれないことを残すためのブログです。

#161 質問力  齋藤孝著

 

 

 いわば会話というのは質問と応答、ほぼそれだけで成り立っていると言える。

 

 昨日何してたの? のような軽い問いかけもあれば、死についてどう思うか? などの重いものもある。

 自分事や説教じみた持論を一方的に話す場合もあるにせよ、結局その後には「で、あなたはどう思う?」と続くか、受け手の方から「それでどうなった?」「なぜ?」と質問が出る。

 だからその質問が的外れだったり中身のないものだと、会話全体の居心地が悪くなる。

 

 

 質問、とひと口に言っても大きく分けて2種類ある。

 個人に対するものと、情報に対するもの。

 ここ何年かで、私は後者の質問にイラっとくることが度々あった。

 

 イラっとポイントも2つあって、まず1つ目は質問の投げ方。

 

 日頃から連絡を取り合っている間柄ならわかるけど、せいぜい年に一度くらいしか連絡してこない人から何の前置きもなくLINEでぺろっと質問が届く。

 

 せめて「久しぶり」とか「元気?」とか、何かしらの挨拶があってからのそれじゃないのかと、偏屈じじいの頭は苛立つ。

 関係性がない状態でそこをすっ飛ばして聞きたいことだけを投げるのは、ただ失礼でしかない。

 

 2つ目はその内容。

 

「おすすめの○○(宿・レストラン・店・マッサージ屋etc.)ある?」

 

 これは海外在住者あるあるかもしれないけど、現地の情報を知りたい人がGoogleがわりに人に聞く。

 もちろん情報収集のために人に尋ねることは間違いではない。

 インターネットで得られるものよりもそこにいる人間に聞く方が生(なま)の情報を知ることができると期待するのはわかる。わかるし、私もそれで助けられたことが何度もある。

 

 ただ、ある程度下調べをして、その上で「実際どう?」と聞いてほしいところだ。

 その労力を使わずに唐突に質問を放るのは、つまり私のことを検索エンジンとしか見ていないのだなと屈辱に感じる。

地球の歩き方に書いてあるよ」とは言わないかわりに溜息が出る。

 

 

 だいたい1と2をセットでやられるので、機嫌によってはかなり冷たい対応になる。

 だってこれ、別に「私」に対する問いじゃないよね、誰でもいいから答えだけくれよって話だよね、と拗ねてしまうのだ。

 そこは私の幼稚さでもあるのだけど、冷たくしたらしたで自己嫌悪にもなるから我ながら面倒臭い性質だ。

 そして、不要な反省を強いられた気になってますます腹が立ってくる。

 

 

 基本的には何かを聞かれたら最大限で応えたい心構えでいるし、役に立てれば嬉しい。

 そのくらいの些細な親切心は持っているのだから、どうか、どうか雑にボールを投げつけるのではなく、気持ちのいいキャッチボールをしましょうよ、そう思う。

 

 

 が。

 同じ唐突でも、インド人の質問力というか、彼らの強引さには腹が立たないから不思議だ。

 

 バスで隣になるやいなや、どこから来たのか? ではじまり、何歳だ? 結婚しているのか? なぜしないのか? 宗教は何だ? ブディズムか? と矢継ぎ早に続く。

 関係性も何もあったものじゃない。しかも最初の質問以外は日本人的にはストレートに聞いちゃいけないやつ。

 それらを躊躇なく、ただ知りたいから聞く彼らの姿勢は奔放でいいなあと苦笑交じりに思う。

 

 そんなこと初対面で聞くー?! と驚きながら、日本人で、何歳で、未婚で――ここまでは真面目に答えるが、この場において答えなんてなんでもいいのだと察する――来年するかも(嘘)、私は自分のことしか信じない(冗談)  と返していくと、さらに家族は何人だ? 兄弟はいるか? お姉さんは結婚しているのか? 子どもは何人いるのか? とエンドレス状態。

 もはや質問力を超えた人力は、この本に書いてある技巧なんて吹き飛ばす勢いだ。

 

 確かにやり取りとして洗練されていない、けれどもプリミティブなコミュニケーションというのはこういうことではないかと思う。

 

 ーーごくごく簡単な質問(と、それ以前の問題)について溜まっていたことばかり書いたが、この本に書かれているのはもっと高尚なレベルのクリエイティブな質問についての教えである。

 私にはインド人のような素質は備わっていないので、せいぜい技巧を磨こうと思った。